「柔軟な対応」でも「持ち味」は捨てない

「わしにはわしのスタイルがあるんじゃけーの!」 「わしはわしじゃー!文句あっか。」 こう見えて、実は結構、仕事なんかも自分のスタイル・やり方に 変にこだわって格好つけたがる僕ですが、最近それじゃあだめなん じゃなーと痛烈に感じることが多い。大阪で本格的に営業活動を はじめたり、こっちのスタッフとの打ち合わせが多くなってきて、 そう感じるわけです。
僕が何を言わんとしているかというと、 「柔軟性」ってとっても重要だし、それをもってないと、きっと 「対応」できないから「求め」られなくなる。そうなると 「つながり」ってできないんだろうな、と。
誰も持っていないような特別な能力やスキルがあれば、 それはまた違うのかもしれませんけど、それだって、その能力 なりスキルなりを求められるだけで、そこから本当のつながり ってなかなか生まれないんではないかと思うわけで。 残念ながら僕には今のとこそんな能力もスキルもないけれど。
東京から大阪に戻る新幹線の中で読んでいた、 「スタバではグランデを買え!」という本に、日本の各地にある さびれた商店街、通称「シャッター通り」について書いてある箇所が ありました。コンビニや大型SCの出店といった世の中の変化や 人々の生活スタイルの変化に対応しきれない、また対応しようとせず、 結果さびれてしまってる商店街のことなんですが、商店街にだって、 そのスタイルをくずさず、持ち味を活かして元気で活発なところも あるようだ。
YES。 基本一緒なんだろうなと思ったわけで。 環境の変化に柔軟に対応していかないといけないんだなー。
自分のスタイルはくずしても、「自分の持ち味」を捨てずに対応するって ことが、ベストなんでしょうね。つくづくそう思う。 あげたシャッターを下ろしたくなければ、そうするしかないぜ。
うちの会社って比較的「対応力」というものに評価をうけて、仕事が はいってくるケースが多々あると思うんですが、それは社外だけでなく 社内にも「柔軟な対応力」ってものがあるからだと思います。 「営業ー企画ー制作」それぞれ「個」の対応力(それは技術的なことと 共にチームで取り組むお互いの気持ち的なことも含めて)がもっともっと 高まれば、きっともっとすばらしい結果を生み出せるんではなかろうかと、 僕は密かに思うわけで。 k.t